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もうひとつの旭川偕行社―GHQ占領時代 (2007/04/05)

旭川偕行社  旭川偕行社はGHQによって接収されたことがある。内部にいた日本人の見た旭川偕行社を紹介する。
 偕行社は旧陸軍の下士官の社交場として設置されたようだが、建物が残っているのは数箇所でWEB検索した結果では, 岡山 弘前 善通寺 旭川 金沢 豊橋などになる。旭川偕行社はバルコンや窓が札幌の豊平館(ほうへいかん)によく似ているがこちらはホテルとして建てられたということだ。
 旭川の偕行社は現在旭川市彫刻美術館となっている。このことについては斉藤傑「旭川市彫刻美術館日誌」を参照されたい。彫刻美術館になる前は旭川市郷土博物館だったが,その前はぺんぺん草に覆われていたようだ。佐藤進の油絵で見て,感銘を受けた。1968年に大規模な修復工事が行われたが,それより前の1956年に私立旭川南高校が第1回入学式を偕行社で行ったと,同校のあゆみに記されているがちょっと想像することができない。
 空襲による戦火はまぬかれたものの、戦後、GHQが接収、進駐軍の宿舎などに使用した。49年には市に管理が移り、校舎や集会所などに利用されたが、老朽化は止めようがなかった。引き揚げ軍人が勝手に住みつくなどして、治安上の問題も出てきた。
 「館の画家」と呼ばれ、旧偕行社を好んで題材に描いた故・佐藤進は、「お化け屋敷」と呼ばれていたこのころの旧偕行社を作品に残している。窓ガラスが割れ、荒廃したその姿に往時の華やいだ面影はない。(YOMIURI ONLINE ふるさと探見
 高倉健と吉永小百合出演の映画「動乱」は二・二六事件の青年将校たちの本部シーンををこの旧旭川偕行社でロケした。雪に包まれた白い建物と緊迫した情景がよく合っていた。最近この映画のDVDも出たようだ。二・二六といえば殺害された陸軍教育総監渡辺錠太郎が旭川の第七師団長を勤め,「常磐公園」の石碑を揮毫している。軍都だけあって,日本の歴史と関わりが深い。
続雪の墓標 閑話休題(それはさておき)旭川偕行社はGHQの接収を受けている。旭川に進駐した米軍の娯楽施設に使われたようだ。そのことを内部から見たことが「続雪の墓標」(賀沢昇)に記されている。
 この著者賀沢昇(かざわのぼる)という人は,実に奇異な経歴の持ち主だ。少年航空兵のときにスパイにそそのかされ,落下傘を盗み出しただめ,逃亡兵となり,北海道のタコ部屋に潜入して永らえ,終戦後GHQに保護されたという。その経歴は「逃亡」(吉村昭)のモデルになっている。その後土木の経験をもって市役所に採用され,定年まで勤め上げる。そして吉村との出会いから「歴史掘り起こしの証人」として行動を始める。「雪の墓標」(小池喜孝)はタコ現場の経験を記したものだが,その後の活動や言い足りなかったことを自ら出版したのが「続雪の墓標」である。その一節が今回紹介する「旭川進駐軍」である。スパイの片棒をかついだり,タコを使ったりということに違和感もあるが,占領時代の旭川を表現した内容なので紹介させていただく。著者とは連絡がとれなくなってしまった。無断で掲載させてもらう。
旭川進駐軍―続雪の墓標(賀沢昇)より
 ちなみにこの本は北見図書館の「あなたが選んだ北見の本60選」(平成18年)の36位に入っている。自費出版としては珍しく増刷を重ねた本だが,既に絶版となっている。それでもこのようにして読み継がれていることは,書籍には大きな力がある事を改めて感じさせる。
嶋福朗 記者)

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